このブログへのアクセスありがとうございます。
この記事はグラフィックデザイナーで姓名判断研究家のネコヒートが書いています。
今回の企画は「遅咲きの有名人」の姓名判断。
時間はかかっても夢を実現させることができた人、好きなことを仕事にした人の名前の秘密を探ってみましょう。
遅咲きと言うと、おおむね30歳を過ぎると言われる傾向があるようですので、そのあたりをリミットに有名人を探してみました。
遅咲きの人の画数って良いのでしょうかね?
それとも、時間がかかったという部分ではけっこう悪い画数なのでしょうか?
遅咲きの成功者共通の画数があったりするのでしょうか?
そのあたりを探っていきたいと思います。
それではまずは1人目。
遅咲き成功者の代表格といえば…
「ボクの顔面を食べて」
というコワいセリフで有名な正義のヒーローの作者・Y先生からご紹介しましょう、発表します、
ドーゾッ!
遅咲きの有名人(敬称略)
やなせたかし(絵本作家・漫画家)
やなせたかし先生と言えば、絵本作家で「アンパンマン」の作者として有名ですね。
第二次世界大戦による混迷の中でさまざまな仕事をこなしていましたが、創作活活動への愛情は捨てがたいものがあったようです。
広告代理店でグラフィックデザイナーをやったり、漫画を描いたり、コツコツと技術の研鑽に励みながら「そのとき」を待つ、やなせたかし先生でした。
その後、のちに大ブレイクを果たすキャラクター「アンパンマン」を思いついたのは、なんと50歳のとき。
ここまでも十分遅いのですが、ここではたいしてブレイクしませんでした…。
本当のブレークは、さらに、20年後の、69歳のときのこと。
きっかけは、「それいけ!アンパンマン」のTV放映の開始。
そこから一気にやなせたかし先生の快進撃がはじまったのですから、相当な遅咲きと言えるでしょう。
姓名チャートを掲載します。
合計ポイントはなんと-70pt。
相当悪い画数ですね。
全体運を示すマップ(総格)19は「孤独アーティスト運」で大凶数。
直感や霊感に優れ、アーティストとしては大成する可能性を秘めた数字。
しかし、凶意が非常に強い。
その他にも、人気商売運ではあるが中途挫折の可能性を秘めた12「挫折タフネス運」があり、どれも一利一害な数字ばかり。
最終的にやなせたかし先生はありあまるほどの大金を手にしたはずですが、その頃には、使うだけの体力や寿命が残っていないという状態だったのかもしれませんね。
これでは、もはや運がいいのか悪いのかわかりません。
亡くなる直前のインタビューでも「今こんな楽しいのに」「まだ死にたくねえよ」と本気で呟いていたのが印象的でした。
享年94歳。多くの素敵なメッセージを持った作品を残されましたね。
とくに「平和」へのこだわりが非常にお強い先生でした。
今のご時世、(冗談抜きで)戦争の足音がヒタヒタ迫ってきている状況では、やなせたかし先生の「平和の大切さ」を訴える声に本気で耳を傾けるべきときかも…なんて思ってしまいます。
さて、ここでわたしが見つけた(かもしれない)、遅咲き成功者の秘密を発表しましょう。
それは…。
そして、すこしだけ画数がわるい。
当たり前に見えることですが、コツコツ続けることって、本当にタイヘン。
つぎは、実業家代表の遅咲き成功者を見てみましょう。
安藤百福(実業家)
安藤百福さんと言えば、みなさんも一度は食べたことがある、あの「チキンラーメン」「カップヌードル」を作り出した人物で、日清の創業者です。
若い頃から創業精神と言いますかバイタリティに溢れた人物で、20代前半にはすでに実業家として成功をおさめていた様子。
しかし、ここでも戦争の影響が…。
第二次世界大戦の混迷のなか、安藤百福さんは全財産を失ってしまいます。戦争ってコワいですね〜。
このとき、47歳。
なにもかも失った百福さんは、とある光景を思い出していました。
大阪駅近くの闇市で大勢の市民が一杯のラーメンを食べるために並ぶ長い行列。
そしてそのときにはこんな想いが…。
『食が一番大事。食がなければ衣も住もへったくれもない』
さらに、このとき、インスタントラーメンのヒントがひらめいたそうな。
「お湯さえあればすぐ食べられるラーメンを作ろう!」
すぐに家に帰った百福さんは、自宅の裏庭に建てた小屋にこもり、毎日研究を続け、試行錯誤を続けたのだそうです。
これが、チキンラーメンの誕生前夜の話。
姓名チャートを掲載しましょう。
合計ポイントは-40ptで、けっこう悪い画数ですね。
マップ(総格)は47「百連発フォーチュン運」で大吉数。ツキを味方に成功していく画数。
しかし、その他が凶数だらけです。
20「浮沈アウトサイダー運」は波乱万丈な人生を生み出す大凶数。しかし、0系統が持つ「再生・創出」があります。
27「剛爆エンターティナー運」も大凶数ですが、よくもわるくも名誉運があります。
やなせたかし先生のときもそうでしたが、凶数のなかに潜む吉意をピンポイントで生かしているように思いますね。そのための「場」選びも大切なように感じます。
安藤百福さんのケースで言えば、もちろん「戦後の混乱」という場でしょう。
さて、その後の安藤百福さんの話に戻りましょう。
自宅の裏庭に建てた小屋でひとり開発を続けた百福さんでしたが、当初は山ほどの試作品を作っては捨ての繰り返しだったと言います。
それはそうですよね。食品に関する知識がゼロのところからスタートしたことなんですから、仕方ありません。
それでも「想いの実現のために諦めない」という不屈の姿勢で研究を続けたそうな。
1日平均睡眠時間4時間という過酷な研究のなか、開発をはじめてから1年後の48歳のとき、ついに「チキンラーメン」第1号の発売に漕ぎ着けました。
すごい執念。
その後の日清の活躍は、宇宙食にまでなったのですから、もはや書くまでもないでしょう。
さあ、ポイントです。
- 凶数のなかに潜む吉ポイントを活かす。
- 世のため人のためという精神を、あきらめない。
そして、やっぱりすこしだけ画数がわるい。
次は、遅咲き小説家の代表格をご紹介しましょう。
松本清張(小説家)
松本清張さんと言えば、小説家。とくに今でいうところのミステリー小説家として有名だった人物。
この人物も大苦労人ですよ。
生家が貧しく15歳で働き始め、以降は職を転々としました。
印刷の見習い工、図案家(グラフィックデザイナー)、版下工、そのうち第二次世界大戦も終わる頃になると、一家8人の暮らしを支える立場となった清張さん。
もともとは作家志望ではありませんでしたが、さまざまなアルバイトのかたわら、賞金目当てに時間を見つけては小説を書き続け、ポスターの公募などに立て続けに応募したと言います。
さぞかしツラく苦しかったことでしょうね。
姓名チャートを掲載しましょう。
合計ポイントは-50ptで、相当悪い画数ですね。
マップ(総格)は36「義理人情ヒーロー運」で凶数。
実力は申し分ないが肝心なときにツキがなく、本人のやさしさのせいで必要以上に他人に肩入れして失敗する(裏切られる)タイプという画数。
しかし、その他は期待できる数字が多い印象ですね。
23「野獣エンペラー運」は朝日が昇るがごとく大出世を果たす大吉数。
17「剛力バッファロー運」も吉数で、人気商売運です。
19「孤独アーティスト運」は大凶数ですが、アーティスト活動に必要なインスピレーションを与えてくれる数字なので、職業的にはあってよい数字と言えなくもありません。そのかわり、凶意を補填できる吉数は必要でしょう。
話をもどしますが、その後、あちこちの公募に出していた小説やデザインがついに当たりました。
先に結果を出したのが、小説でした。
短編小説「西郷札」が『週間朝日』で入選したのです。
(デザインものちに佳作をゲットしたそうです)
このとき松本清張、42歳。
それから始まった作家としての活動。
ここから清張さんは、稼げる可能性が少しでも高い「小説」一本に絞ったと思われます。
これだけの苦労人ですから自分が好きなことより、まず生きるために稼げる小説を仕事として選んだのは自然なことでしょう。
そして、ついにそこからさらに7年後(長いですねぇ)、推理小説「点と線」がベストセラーになりました。
清張さん、49歳の話です。
それにしても、時間がかかりましたね。
しかし、成果が出てよかったですね。
その後も、「ゼロの焦点」「砂の器」などヒット作が続き、松本清張作品は「社会派」と呼ばれ推理小説界に新たなジャンルを確立しましたとさ。
ここでポイントです。
- 手当たりしだいにチャレンジしてみること。
- 手ごたえを感じたら集中。
そして、やっぱりすこしだけ画数がわるい。
次は、遅咲き漫画家にして億万長者の代表格をご紹介しましょう。
青木雄二(漫画家)
青木雄二さんと言えば金融業界を題材にした「ナニワ金融道」で有名な作者です。
若い頃から30種類以上の職を転々としたそうな。
ご本人曰く、一番楽だったのは「公務員」、肉体的にきつかったのは「パチンコ屋」、精神的にキツかったのが「漫画家」だったとのこと。
その後、30歳のときに一念発起しデザイン会社を起業しましたが、10年持たずに倒産。
その間も、青木さんはオリを見ては漫画を投稿し続けていたようですが、そもそも25歳の頃に「屋台」というタイトルの漫画が佳作入選していまして、漫画の才能があった人だったように思われます。
倒産後、講談社に応募した「50億円の約束手形」が佳作に入選し、その後に描いた連載漫画「ナニワ金融道」が大ブレイクしたわけです。
連載開始時の年齢は45歳でした。
姓名チャートを掲載しましょう。
15ポイントは、平均より少し上くらいのレベルの点数だと思います。
マップ(総格)には、風雲を巻き起こす波乱の人生運26がありますね。
ジョブ10は大凶数にも関わらず、スポーツ選手や作家、漫画家などには必要な一発勝負運を授けてくれる数字。
一撃必殺で、一気にのし上がってきた印象がありますもんね。
しかし、10や14の凶暗示から、逃れることは難しかったようです。
その後の青木雄二さんは…。
52歳のときに「引退宣言」しました。
そのときの言葉は
「一生遊べる金は稼いだ。残りの人生は遊んで暮らす」だったそうです。
弱者の視点から描き続け、強者に搾取されない強い生き方を訴え続けたとても熱い漫画家でしたが、精神的にも肉体的にも過酷な漫画家生活で、肉体はボロボロだったのかもしれません。
そのわずか6年後、肺癌で死去されました。享年58歳。
まさに26画を体現しているかのような、風雲の人生だったように感じてしまいます。
最後にポイント。
まとめ
4人をご紹介しました。
みなさん、おおまかに画数悪かったですね。
画数が悪いと出世・成功するスピードが少し遅くなる傾向があるのでしょうか?
これは今後も研究対象として調査を続けていきたいと思います。
ポイントをまとめます。
- 好きなことはコツコツ続け、あきらめないこと。
- 凶数のなかに潜む吉ポイントを活かしましょう。
- 世のため人のためという精神は大切です。
- 手当たりしだいにチャレンジ!手ごたえを感じたら集中!
ポイントにズラズラ箇条書きで並べましたが、「あきらめない」とか「コツコツ」って案外難しいですよね。
結局、続けるために、その根底になくてはならないもの。
それは、ひとことで言い表すのなら、
パッション(情熱)
でしょう。
コロナ禍、戦争、物価の値上がり(給料ダダ下がり)等々、気分が上がりにくい世の中でパッションを保つのは容易ではありませんが、きっと成功の秘訣のひとつなのだと思います。
先人のよいところは上手に取り上げ人生にいかしていきたいな、と思います。
あと、最後に、自分は遅咲きかな?と思う人は、ぜひ一度ご自分の名前の点数をお調べすることをおススメします。
本当はこのサイトに訪れたひとたち全員にもう一度、画数の算出とポイント化をお勧めしたいのですが、なにぶん長い記事になるため、お時間のある人だけ下記のリンクからお試しください。
→「自分の画数を調べる手順」を徹底解説!

→「自分の画数のポイント化」を徹底解説!

画数を視覚化(ポイント化)することで、よりいっそう姓名判断が楽しくなりこと間違いありません。
それでは、次回別な企画でお会いしましょう。
それまでみなさんも元気でお過ごしくださいネ!
〈終わり〉