このブログにアクセスくださいましてありがとうございます。
この記事はグラフィックデザイナーで姓名判断研究家のネコヒートが書いております。
今回は、第2回「戦国武将の姓名判断」ランキング・ベスト10です。
全3回(上の巻、中の巻、下の巻)に分けて掲載していきますのでよろしくお願い致します。
さて、まずは第1回「戦国武将の姓名判断」ランキングの振り返りから。
第1回「戦国武将の姓名判断」ランキング・ベスト10の第1位は、独眼竜「伊達政宗」(55pt)でした。
55ptというのはそんなに高い点数ではないのですが、いかんせんまわりの戦国武将の名前が悪すぎましたね。
なにせ-40点クラスの名前がズラリ。
石田三成の名前が悪そうなのはウスウス気付いていましたが、まさか、徳川家康が5位、武田信玄が8位になるとは、個人的にはけっこうショックでした。
さて、第2回に登場するメンバー10人のご紹介です。
- 毛利元就
- 井伊直政
- 直江兼続
- 本多忠勝
- 黒田官兵衛
- 真田昌幸
- 斎藤道三
- 島津義弘
- 竹中半兵衛
- 今川義元
いずれも有名な戦国武将ばかりですが、誰の名前が良さそうに見えますか?
最後にもっとも良い名前を持つ、「名前で天下統一する」戦国武将は一体誰なのでしょうか?
みなさんも予想しながら読んでくださいね。
今回は、第10位をいったん飛ばし、第9位から6位までを発表します。
それではさっそく行ってみましょう、
第9位はこの戦国武将でした。
戦国武将ランキング ベスト10
第9位
斎藤道三:−40pt
1494〜1556年(63歳没)
第9位は、「美濃のマムシ」と呼ばれた天才軍師・斎藤道三でした。
姓名チャートを掲載します。
道三は、もともと油売りの商人から成り上がった「ワル」として有名です。
歴史本の中で「三大梟雄」を挙げる企画があると、必ずその中の1人として名が挙がるほどの人物。ちなみに、梟雄というのは「残忍で勇猛なこと」を言います。
しかし、事実、乗っ取りを繰り返しながら美濃統一を果たしたのだから仕方がありません。大まかに言いますと…。
①長井家のっとり→②斎藤家のっとり→③土岐氏を追い出し、美濃を統一
名前の方はと言えば、智恵者に多い「37画」をライフ(人格)に持っており、(道三の場合よく言えば…)創意工夫や創造力によって人生を築きあげてきたことがうかがえます。
と同時に、波乱万丈数「19画」と急転直下数「20画」は、道三の「末路」を暗示しているように思うのです。
道三の最期とは…。
道三は、息子たちの中でも孫四郎や喜平次らを可愛がっていたそうな。
そのため、家を弟に継がせようとしたときに、邪魔な長男・義龍を○すことを画策したのでした(おそろしいオヤジです…)。
しかし、 さすがは道三の息子というべきか。
「異変」を察知した義龍は、弟たちを皆○しにし、父・道三に対して挙兵しました。
その結果、なんとも皮肉なことに、道三は実の息子に○害され、63年の生涯を終えましたとさ。
というわけで、「策士策に溺れる」を地でいってしまった天才軍師が、第9位でした。
第8位
井伊直政:−25pt
1561〜1602年(42歳没)
第8位は、「赤鬼」と呼ばれた猛将・井伊直政でした。
姓名チャートを掲載します。
戦場では「赤鬼」と呼ばれていましたが、部下には異様に厳しかったらしいのです。
失敗は絶対許さず、部下は次の戦で還って来られるのかドキドキしながら過ごしたらしい。
さしずめ、今のご時世なら「パワハラ上司」と呼ばれるような人物だったようです。
名前の方と言えば、マップ(総格)に「波乱万丈の英雄運」26画を持っています。
元プロ野球監督・星野仙一、「聖闘士星矢」の漫画家・車田正美、漫才師・横山やすし等がマップ(総格)26画の人物。
いずれも「猛将」というイメージにピッタリの印象ではありませんか?
その他、特徴的なのが、エゴイスト数の「14画」です。
これは、「見栄っぱり」と言いますか、「ええカッコしい」に多く見られる画数で、つまり、徳川家康によく見られたいという気持ちから、部下に強く当たっていたフシがありますね。
さて、そんな赤鬼の最期。
「関ヶ原の戦い」において、娘婿で「家康の4男」の松平忠吉に一番槍の武功(功績や手柄)をとらせようと張り切っていた矢先…。
島津隊を追撃中に、逆に射撃され、その傷が原因で命を落としました。享年42歳。
「見栄っぱり」「ええカッコしい」というのはかわいそうかもしれません。なぜならそれが戦国時代だったのでしょうから。
しかし、己の出世や保身ばかりに目が眩んで、他者を省みない人(上司)は現在でもいますよね。
井伊直政の名前は、「行き過ぎ注意」とか「調子に乗るとシッペ返し」がくることを伝えているように思います。
赤鬼・井伊直政が、第8位でした。
第7位
黒田官兵衛:−15pt
1546〜1604年(59歳没)
第7位は、天才軍師・黒田官兵衛でした。豊臣秀吉を天下統一に導いた軍師として有名です。
姓名チャートを掲載します。当初厚い信頼関係で結ばれていた豊臣秀吉と黒田官兵衛。
しかし、日頃から官兵衛の「頭の良さ」や「腹黒さ」を目の当たりにしていた秀吉は、官兵衛の力を恐れていたと言います。
その証拠に秀吉は、官兵衛に武功に見あった俸禄(給料)を与えていなかったらしい…。
もし官兵衛が十分な石高を持ったら寝返って自分(秀吉)を討ち、天下を狙うようになるだろうと考えていたようなのです。
さて、名前の方はと言えば、ひじょうに頭の回転が早く上役に可愛がられ出世する、当サイトで「戦国武将数」と呼んでいる13「愛嬌サクセス運」を持っています。
「第1回 戦国武将の姓名判断ランキング」内でも、10人中、武田信玄、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康、真田幸村が名前に「13画」を持っていました。
さらに、マップ(総格)の47画も人生に花を咲かせる「満開フォーチュン運」で、天下を取るほどの大物・豊臣秀吉に気に入られ(一応)出世したこともうなずけますね。
しかし、「満開フォーチュン運」を持っているにはややおとなしい人生になった印象が強いのは、かの天才軍師と言えども波乱万丈(20画)で数奇な運命(34画)の魔力には抗えかったからかもしれません。
決定的な「間の悪さ」を発揮したケースには、「中国大返し」という名で有名なこんなエピソードが…。
1582年6月、織田信長が本能寺で明智光秀に襲撃されたとき(いわゆる本能寺の変)、豊臣秀吉軍は備中高松城を水攻めしていました。
秀吉は、本能寺の変で散った信長の話を聞き、激しく動揺して泣き崩れたと言います。
しかし、そんな時、秀吉の気持ちを知ってか知らずか、官兵衛は、
「殿、(むしろ)天下を取る機会ですぞ!」
と進言したらしいのです。
秀吉が「ここで言うかオマエ」と言ったかどうかはわかりませんが、それを聞いた秀吉は、京までの道中に必要な、松明や炊き出し、替え馬、渡し船などを素早く準備。
明智光秀を討つために、備中高松から京までの約200kmを、わずか10日間で駆け戻り、明智光秀を討ったのでした…。
その時の官兵衛の「KYなひと言」で秀吉の不信感が決定的になったとの説もあり、泣かず飛ばずな晩年になったと言われているですが、実際にはこの一言が原因というわけではないでしょう。
日頃から官兵衛の狡猾さや腹黒さは秀吉もよくわかっていたはず。よくわかっていたからこそ利用したのでしょうから。
馬◯とハサミは使いようと言うことで、結果、秀吉が1枚上手だったというだけのことなのかもしれませんね。
「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う言葉がありますが、頭が良過ぎてもダメ、人間、バランスが大切ということでしょう。
自滅(?)した天才軍師、黒田官兵衛が、第7位となりました。
第6位
島津義弘:0pt
1535~1619(85歳)
第6位は、文武両道の勇将・島津義弘でした。
島津義弘と言えば島津4兄弟の次男で、ひじょうに戦の強い武将として有名です。
生涯で57回の戦闘機会がありましたがほとんどを勝利で収めています。
300人の兵力で3000人の相手を打ち破った「木崎原の戦い」など、大きな戦力さを覆しての勝利も多い武将でした。
しかし、戦の強さもさることながら、「知」の部分でも大変優れていたそうな。
外科医なみの医術知識を持っており負傷者の診察に自ら当たったり、茶道の創始者・千利休の弟子だったり、本を出版していたり…。
戦うこと以外にも、飛び抜けた才能を持っているなんて、なんとも魅力的ですよね。
さて、名前の方はと言えば、三才配置はともかく画数だけなら、見事な数字ばかりが並んでいます。
まず、武勇の方は、戦闘力抜群を彷彿とさせる、エネルギッシュでスタミナ旺盛な「23画」と「18画」を持っています。
それを支える最大ラッキー運「15画」の存在も見逃せません。
一方、「知」の方は、マップ(総格)に、技芸に優れる「38画」を持っております。
これらのバランスによって「文武両道の勇将」が出来上がっていたということになります。
しかもホメ上手で、部下をヤル気にさせるのが上手だったそう。
今で言えば「上司にしたい戦国武将ナンバーワン」と言ったところでしょう。
その象徴的な戦が、1572年「関ヶ原の戦い」です。
義弘は、西軍側につき敗戦したものの、そこで決行された作戦が「島津の退き口」と呼ばれるものでした。
大将ひとり(義弘)を逃がすために、ある一個隊をまるまる犠牲にすると言う、あまりに過激すぎる作戦…。
しかし、配下の兵たちは義弘ひとりを逃がすために、喜んで犠牲になったと言うから、いかに日頃から下の者を大切にしていたかが伝わるエピソードですよね。
強さだけじゃない、人間力にも溢れる勇将・島津義弘が第6位でした。
…ランキングの発表はここまで。
今回は、第9位から第6位の発表でした。
残りは、以下の6人。
- 毛利元就
- 直江兼続
- 本多忠勝
- 真田昌幸
- 竹中半兵衛
- 今川義元
さて、最後に1位に輝くのは、名前で天下統一を果たすは誰なのでしょうか?
次回をお楽しみに〜!
〈終〉