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この記事はグラフィックデザイナーで姓名判断研究家のネコヒートが書いております。
今回は、第2回「戦国武将の姓名判断」ランキング・ベスト10の続き。
全3回の「中の巻」です。
さて、まずは前回の振り返りから。
前回はあえて第10位を外し、第9位から発表しました。
第9位:美濃のマムシ「斎藤道三」
第8位:赤鬼「井伊直政」
第7位:天才軍師「黒田官兵衛」
第6位:文武両道の勇将「島津義弘」
残りは6人。
- 毛利元就
- 直江兼続
- 本多忠勝
- 真田昌幸
- 竹中半兵衛
- 今川義元
最後にもっとも良い名前を持つ、「名前で天下統一する」戦国武将は一体誰なのでしょうか?
みなさんも予想しながら読んでくださいね。
今回は、第5位から2位までを発表します。
それでは行ってみましょう、
第5位はこの戦国武将でした。
戦国武将ランキング ベスト10
第5位
直江兼続:5pt
1560〜1619年(60歳没)
第5位は、「愛民」の戦国武将、直江兼続でした。
姓名チャートを掲載します。
直江兼続は、上杉景勝の右腕として、政治、外交、軍事、ありとあらゆる面で活躍した武将です。
「愛」の一文字を甲冑に掲げていたことでも有名で、その理由は、兼続のモットーが「愛民の精神」であったからなのです。
「民を愛する」なんて素敵なモットーですよね。
今の政治家連中にも聞かせてやりたい(本当に)。
さて、名前の方はと言えば、マップ(総格)は、46「嗚呼無情ドリーマー運」と呼ばれる波乱数(凶数)なのは少々気にかかるところ。
しかし、その他の格には、29「疾風怒濤ボスキャラ運」、31「昇天オールラウンダー運」など、複数の強数・出世数を持っており、実はかなりパワフルな画数構成になっていますね。
主君の景勝とは、上司、部下の関係でありながら、日頃は親友のように仲が良かったと言います。
そんな兼続は、景勝に対して忠誠心以上に(兄弟に感じるような)愛情を感じていたのかもしれません。
その証拠に、豊臣秀吉から「ぜひ自分の部下に」と熱心に誘われていたにも関わらず、断っていたと言うのですから、なんとももったいない(?)。
「愛民の精神」を掲げ、徹底的に主君に対する忠誠心を貫き通す、こういうスジの通った有能な右腕を欲しいと思う人も多いのではないでしょうか?
「愛民」と「忠誠」を貫き乱世を生きた、直江兼続が第5位でした。
第4位
本多忠勝:15pt
1548〜1610年(63歳没)
第4位は、武神・本多忠勝でした。
姓名チャートを掲載します。
本多忠勝の初陣はなんと、13歳の頃。
生涯で57回の戦に参加し、しかも、毎度無傷で帰ってくると言うのですから驚いてしまいますね。
その優秀さに、豊臣秀吉は「日本一の武士」、信長も「花も実も兼ね備えた勇士」と絶賛。
まさに「生まれながらのサムライ」であり、「武神」と呼ぶにふさわしい人物だったのでしょう。
さて、名前の方はと言えば、マップ(総格)に31「昇天オールラウンダー運」を持ち、「最高の人生地図」を持って生まれたことがわかります。
しかし、それ以外は、やや危険な数字のオンパレード。
ライフ(人格)は、14「虚飾虚栄スター運」(旧名:嘘つきピエロ運)で大凶数だし、ベース(地格)も20「浮沈アウトサイダー運」で大凶数…。
さらに、17「剛力バッファロー運」という吉数ではありますが、事件・事故運まで持っているのです。
これらの数字を持っていながら、無傷って、呆れますねぇ…いい加減にして欲しいなぁ(姓名判断研究家泣かせです)。
そんな忠勝が老境に差しかかったある日のこと。
忠勝は、小さな刀で指を切ってしまったそうな。
その小さな傷を見て、ひと言、こう呟いたそうです。
「本多忠勝も終わりだな…」
フッとニヒルに笑ったのかどうかはわかりませんが、それから数日たったある日、本多忠勝は息を引き取りました。享年63歳。
かっこいいですね。漫画みたい。
武神・本多忠勝が、第4位でした。
第3位
毛利元就:40pt
1497〜1571年(75歳没)
第3位は、「戦国界きっての謀略鬼」と呼ばれた・毛利元就でした。
姓名チャートを掲載します。
毛利家はそれまでは中国地方では小国にすぎませんでしたが、元就の代で大飛躍しました。
一般的には「智将」で通っていることでしょう。
「厳島の戦い」ではわずか4000の軍勢で、2万もの大軍をうち破り完全勝利をおさめたし、「知」の部分での力は確かにあるのですが…。
しかし、ダーティーな評判も付きまとうことも事実。
奇襲、暗殺、裏切り、寝返り、家来の謀殺、主家の乗っ取り、騙し討ち等々、「ド汚い」技を使うことがけっこう多いのです。
昔、総合格闘家に「柔術マジシャン」や「千の技を持つ男」と称されたノゲイラという人がいましたが、まさにあんなキャッチフレーズのイメージ。
「謀略マジシャン」「千の謀略を持つ男」、それがわたしが持つ、元就に持つイメージだったりします。
一方、名前の方はと言えば、マップ(総格)27「剛爆エンターティナー運」で大凶数。
よくも悪くもニュースに縁ありで、このナンバーを持っている人物は力がありすぎるため結局目立ってしまうところが玉にキズ。
そして本人は、意外にも、目立つことが嫌いではないのです。
武将としては、ライフ(人格)11「我儘ステップアップ運」もリーダーの器であることの証でしょうし、16「逆転シンデレラ運」も、6系統の英雄運含みの画数です。
けっこうイメージ通りの人物と言えるかもしれませんね。
しかし、晩年の元就は、意外なことを言いました。
子どもたちに「天下をのぞむな」と遺言を残したそうなのです。
そして、子どもたちも元就の遺言に従い、秀吉の天下統一を助け和平を守り続けたそうな…。
想像するに、これは、元就の頭脳が優秀すぎるがゆえに子どもたちが、天下統一を狙った際の未来(結末)が見えてしまったのかもしれません。
何度も何度もシミュレーションしたことでしょう、
しかし、何回やっても結論は一緒。
この子たちの器(頭脳)では、とても天下が取れない…!
つまり、この遺言は、子供たちや子孫を守るための、最後の「謀略」だったのかな、と想像します。
「謀略鬼」なんて呼ばれても、それは「戦国時代という悪夢」がそうさせただけであって、元就も人の親だったということなのでしょう。
「戦国界きっての謀略鬼」毛利元就が、第3位でした。
第2位
今川義元:90pt
1519〜1560年(42歳没)
第2位は、お坊さんから転身した武将・今川義元でした。
姓名チャートを掲載します。すべてがプラス表示(オレンジ色)になりましたね。
今川義元は、生まれたときにはすでに兄たちがいたため、5歳のときに出家し僧侶(太原雪斎)のもとで教育を受けていました。
ところが、18歳のときに当主の座をかけた「花倉の乱」が勃発。
その争いを見事に義元が勝ち抜き、当主になりました。
その後も、優れた領地政策、軍事政策で力を発揮し、「海道一の弓とり(東海道一の武将)」と呼ばれるまでになったのです。
さて、名前の方はと言えば、良い名前ではありますが、金性の数字(7,8系統)が多いのが少々気がかりなところ。
5格のうち3格にあるのは、ちょっと多いですねぇ。
事件・事故運含みのため、戦国時代という状況においては、ちょっとシャレになりません。
しかし、マップ(総格)24「成金ミリオネア運」は大吉数で、大金持ちになる出世数。
ライフ(人格)16「逆転シンデレラ運」も、凶を吉に変えるマジックナンバーで有名です。
これだけの画数を持っていながら、42歳で亡くなった今川義元の最期とは…。
それは、1580年、2000人の織田信長に対し、2万5000という大軍を率いて挑んだ「桶狭間の戦い」でのお話。
誰もが、義元の勝利を疑わなかった戦い。
織田軍に対して10倍以上の兵力なんですから、普通に戦ったら負けるはずのない戦い、なわけですよ。
ところが、義元軍は、織田信長の奇襲を受け、大敗北…。
おまけに、義元は休憩中に討○するという最悪の展開…。
しかし、ある意味名前の暗示通りと言いますか、17画や8画など金性の暗示(事件・事故運)通りと思えなくもない。
この一件で、今川義元の武将としての株が大いに下がったと言われますが、なにせ相手が、天下の織田信長です。格が違いすぎる、とも言えますね。
しかし、寿命の長い短いが人生では無い、という考え方もあれば、一方では、長生きした方がエライみたいな考え方も当然あるわけで、当の今川義元がどう思っていたのか、聞いてみたいところです。
お坊さんから転身した武将・今川義元が、第2位でした。
…ランキングの発表はここまで。
今回は、第5位から第2位の発表でした。
これまでの第9位から第2位までのランキングは次のようになりました。
第9位:美濃のマムシ・斎藤道三
第8位:赤鬼・井伊直政
第7位:天才軍師・黒田官兵衛
第6位:文武両道の勇将・島津義弘
第5位:「愛民」の戦国武将・直江兼続
第4位:武神・本多忠勝
第3位:謀略鬼・毛利元就
第2位:お坊さん武将・今川義元
そして、残りは、いよいよ2人、です。
- 真田昌幸
- 竹中半兵衛
さて、最後に1位に輝くのは、名前で天下統一を果たすは誰なのでしょうか?
次回の最終回をお楽しみに〜!
〈終〉