【SHN】中山美穂〜有名女優が自宅浴室でお亡くなりました【姓名判断チャート掲出中】

【SHN姓名判断】楢崎龍〜坂本龍馬の妻・お龍さんの名前を調査してみた!英雄の妻の名前って?後家運はあるの?十宮図を掲載中!【緊急鑑定】

SHN_eyecatch_purple 新webp画像 姓名判断ニュース
スポンサーリンク

このブログヘのアクセスありがとうございました。

この記事はグラフィックデザイナーで姓名判断研究家のネコヒートが書いています。

「姓名判断ニュース」の時間です。

今回は、坂本龍馬の妻、楢崎龍ならさきりょう(通称:お龍さん)をてみましょう。

坂本龍馬と言えば幕末の英雄としてひじょうに人気の高い人物。

当時の幕府が外国の要求を拒絶する力がなく情けない状況だったのを見かねた龍馬らは、日本の将来に危機感を覚えことをきっかけに、「新しい国家」が必要だと考え行動を起こしたわけです。

幕府と対等な力をもつため、強力な力を持つ薩摩藩と土佐藩の同盟に成功するわけですが、そんな簡単にコトは運ばないものですよね。

その後の龍馬の悲劇的な最期はあまりに有名でしょう。

1867年12月、醤油問屋・近江屋にて龍馬は暗○されました。享年30歳。

犯人は京都見廻みまわり組の者と言われていますが、真相は闇の中…。

さて、今回登場するお龍さんは1864年頃に龍馬と結婚しましたが、龍馬の○後は大変な苦労をされたらしい。

歴史に名を残す「英雄の妻」として生きたお龍さんは、果たしてどんな名前なのでしょうか?

良い名前なのでしょうか?

それとも悪い名前?

夫に先立たれたという意味なら、いわゆる「後家運」はあるのかいなか?

「十宮図」のところで、お龍さんに起きた事件とチャート内容を比較していますのでご興味のある人はご覧になってください。

それでは、さっそく観ていきましょう、
まずは人物メモからです、
ドーゾッ!

スポンサーリンク

人物メモ

  • 名前:楢崎龍ならさきりょう(通称:りょう
  • 生年月日:1841年生〜1906年没(享年64歳)
  • 出身:京都
  • 龍馬との出会い:元治元年(1864年)頃に出会う。龍馬と初めて会ったときに名前を聞かれて紙に書くと自分と一緒だと笑っていたエピソードは有名
スポンサーリンク

姓名判断

名前:楢崎龍

画数 属性 吉凶
ハウス(天格) 24 大吉
ライフ(人格) 27 大凶
ベース(地格) 17
ジョブ(外格) 14 大凶
マップ(総格) 40 大大凶

五格と三才配置が出ました。

数理

お龍さんの人生地図とも言えるマップ(総格)は、40「冷酷非情カリスマ運」で、大凶数。

織田信長がこの画数に挙げられる有名人ですが、「三日天下運」なんていう言い方をされており、「良い時期は短い」という暗示を持つナンバーです。

その他は、ほぼ凶数ばかり。

ライフ(人格)は、良くも悪くも名誉や権力に縁がある27「剛爆ごうばくエンターティナー運」で大凶数だし、ジョブ(外格)は、破産・破財を暗示する14「虚飾虚栄きょしょくきょえいスター運」で大凶数。

おまけに、ベース(地格)に7系の、17「剛力ごうりきバッファロー運(吉数)」を持ってますが、このナンバーは事件・事故運を有する危険数。本来名付けにはオススメしない画数です。

以前、リアル八つ墓村事件と呼ばれる津山つやま30人○害事件」の被害者50人の名前を調査したことがありました。

やはり、一番多いのは「金性」の「7、8系」だったのです。

【禁断企画】リアル八つ墓村の姓名判断~50人の名前を検証してみた~前編【閲覧注意】
昭和13年に岡山県の集落で起きた30人○害事件いわゆる『リアル八つ墓村事件』の被害者・加害者50人を姓名判断で占ってみました!今回は前編です。姓名判断でよく言われている事件・事故運の7,8の出現率は?被害者と加害者の名前はどちらが強いのか?刺激の強い内容も含まれておりますので【閲覧注意】かつ【自己責任】でご覧ください。
【禁断企画】リアル八つ墓村の姓名判断~50人の名前を検証してみた~後編【閲覧注意】
昭和13年に岡山県の集落で起きた30人○害事件いわゆる『リアル八つ墓村事件』の被害者・加害者50人を姓名判断で占ってみました!今回は後編です。姓名判断でよく言われている事件・事故運の7,8の出現率は?被害者と加害者の名前はどちらが強いのか?刺激の強い内容も含まれておりますので【閲覧注意】かつ【自己責任】でご覧ください。

結果からさかのぼれば、お龍さんの名前には、竜馬暗◯を暗示するような数字が複数あり、7系の影響から、脚光を浴び目立つ人生にはなりますが、本当の意味での成功や幸せが手に入りにくい名前になっているように思います。

近江屋で暗◯された龍馬自身もジョブ(外格)に、事件・事故運である17「剛力バッファロー運」を持っていることからも、 悲劇的な事件にうことはある意味必然だったとも言えるでしょう。

唯一の救いは、2人とも7系を名前に持っており、龍馬とお龍さんの相性が良かったのでは、と想像できるところ。

激動の時代のなかで精神的に厳しいことが多かった環境でも二人で過ごす時間が、龍馬とお龍さんの心の救いになっていたのなら…と思ってしまいますね。

三才配置

お龍さんの三才配置ナンバーは「24-27-17」で変換しますと、「火-金-金」になります。

ネコヒート姓名判断の早見表で確認すると「火-金-金」は、「凶悪配列」でした。

そこには次のようなお告げ文が…。

“不遇不満多く、剛情さを出すと不和・争いが大きくなり伸展困難となり、孤独な人生になる暗示あり”

かなり悪い三才配置ですね。

龍馬の死後、お龍さんは龍馬の実家に世話になっていたらしいのですが、家族とのウマが合わなかったのか数ヶ月で家を出ているそうな。

元々「お嫁さんタイプ」ではなく、「豪快な同志タイプ」で、龍馬もそういう型にハマらないところにれたわけですから仕方ありません。

しかし、そこからは転々と渡り鳥のような人生になってしまっていたようですね。

最後に十宮図を見てみましょう。

十宮図

ネコヒート姓名判断では、独自の「十宮図」での鑑定をしています。

数字という観念・概念を図にすることで、視覚的に名前をとらえることができるため重宝しています。

十宮図 プレーン

今回は表の見方の関する詳細な解説は割愛させていただきますが、簡単に用語解説はしておきましょう。

  • Peak : 頂点。運勢の良い時期
  • Valley : 谷。運勢の悪い時期
  • Event period : 大きな出来事が起こる期間
  • Caution : 要注意年(人によって異なる)

この円のなかに、占星術のように線を引き名前を鑑定する、というわけなのですが、まずは、お龍さんの十宮図を見てみましょう。

楢崎龍 十宮図

「0」地点が出生年。

ということは、0歳…10歳…20歳…30歳のときは「0」地点に当たります。

お龍さんのチャートで最も印象的なのは、当ブログでよく登場する「ベルト」です。

「ベルト」とは…以前記事にもしましたが、このベルトが出ていると突発的な事件や事故、不幸が起こることが実に多い。コロナ禍においてお亡くなりになった有名人がことごとく持っていた「相」なのです。

そして、やっぱりお龍さんにもベルトがありました。

しかも2本。

  • 0-4-5-9(凶意の強いベルト)
  • 5-6-8-9(凶意の弱いベルト)

さらに、鋭角な三角が出ています。

  • 6の位置(6-8-9)

象徴的な出来事とチャートを比較してみましょう。

①坂本龍馬との出会い

坂本龍馬と出会ったとされる年は、1864年と言われています。

チャートで言うと「3」の頃。

そこは、イベント期間ではありませんでしたので「山」「谷」ともにありません。

②寺田屋事件

寺田屋事件は、薩長同盟締結直後の1866年3月9日、京都の寺田屋に宿泊していた坂本龍馬と護衛役・三吉慎蔵が伏見奉行の捕り方に襲撃された事件のこと。

このとき龍馬は両手指に重傷を負いましたが、お龍さんがとっさの機転を利かし、龍馬の命を救いました。

この事件が起きた年はチャートで言うと「5」の頃。

Wでベルトにかかっている時期でしたね。しかし、「山」の時期でもあり、かろうじて何もおきませんでした。

この事件の後、西郷隆盛のすすめで、お龍さんと龍馬は旅行に出かけました。塩浸温泉で傷をいやしながら高千穂峰で遊び、二人の生涯で最も楽しい時間を過ごしたそうな。

そして、これが日本で初めての新婚旅行(ハネムーン)の始まりと言われています。

③坂本龍馬暗○

お龍さんの夫だった、坂本龍馬が近江屋で暗○された年は1868年のこと。

お龍さんのチャートで言うと、「6」の位置に当たります。

まさに「谷」に当たる位置で、ベルトにも掛かっています。

おまけに「鋭角な三角」も表れており、人生を変えてしまうほどの凶事が起きやすい時であったと言えます。

④お龍さんの没年

お龍さんが亡くなったのは、1906年です。

寺田屋事件と同じ、チャートで言うと、「5」の位置に当たります。

「山」の時期ではありましたが、Wでベルトにかかっている時期で命運が尽きましたね。

寺田屋事件とまるっきり逆の結果になりました。

龍馬と新婚旅行に行った「5」の年にお亡くなりになったお龍さん、なんだか不思議な「縁」を感じてしまうのは私だけでしょうか。

まとめ

数理、三才配置、十宮図ともにあまり良くない名前でしたね。

とくに十宮図で観てみると顕著でした。

チャートの7割がベルトに掛かっている状態で、突発的的な凶事(7系が多いことも影響)が起こりやすい人生だったことがうかがえ、とくに龍馬の死後はひじょうに苦労したという話とリンクすると思います。

また、日本の転換期という激動のタイミングでもありましたが、その波をモロにかぶるような不安定な人生だったのではないか、と想像できます。

「英雄の妻になった」お龍さん、「類は友を呼ぶ」の原理ではありませんが、運の部分でも(運の部分だからこそ)、似た人同士はつながるものだな、と思わざるをえませんでしたね。

今回は、以上で終了です。