このブログへのアクセスありがとうございます。
この記事はグラフィックデザイナーで姓名判断研究家のネコヒートが書いています。
今回は、年明けの初ブログ。
2025年の初記事ということで、西暦に「25」を持つ2025年がどうなるのかを考えてみました。
25画といえば、一般的な姓名判断の解釈では、概ね「吉数」です。
「概ね」と書いたのは、このナンバーは、少々強すぎる性格が災いし、自ら福を逃す傾向とか、まわりから人がいなくなり孤立する傾向があるから。
そんなちょっとカドが立ちそうな数字を持つ2025年のニッポンは、どのような1年になるのでしょうか?
25画とは?
25画の評価から見ていきましょう。
ネコヒート姓名判断で、25画は「唯我独尊ファイター運」という名前で、吉数。
くわしい話と有名人リストは、以下のリンクからを読んでいただくとして、ざっくり言いますと、「5系が持つ最高クラスの強運体質」を持っており、出世・成功運は十分。
ところが、その力があまりに強すぎるために、「人間衝突運」「トラブルメーカー運」含みとなり、ちょっと問題のあるナンバー、という評価なのです。
わたしが知っているマップ(総格)25画の人物は、自分は人より得したい…自分が得するためなら他人が損する(痛い目にあう)のは構わない…自分が目的を達成するためなら冷酷に振るまえるという一面が確かにあり、他人が傷ついてもサッパリ気にしていない(気にして欲しかったなぁ)。
さらに、これまで紹介した、お騒がせ有名人ランキングでも25画を持つ人物はかなり多く登場し、単純な吉数とは言い難いのです。
もし、もっと細かく評価してよいなら、末吉~小凶にしたいくらいですね。
また、別な視点から考えると、100年以上昔の「オールド姓名判断」の世界では以下のように評価されています。2つの、25画評をご紹介しましょう。
オールド姓名判断の解釈
オールド姓名判断とは、黎明期の姓名判断のこと。
とくに画数の成立の話は、タブーなのか何なのかわかりませんが、どの先生も語っていませんよね。
そういうこともあり、以前の研究記事として紹介しましたが、今回は25画のところを抜粋しお伝えします。
まずは、大正3年に刊行された太乙道人先生の著書、『姓名と運命』から。
“五の極盛の自乗であるから、吉數と云ひながら戒心するところがなければならぬ…”
これは、5が究極のナンバーの乗算であるから、吉運はあるが「自らを戒めよ」と語っておられます。
つまり、25画は、「過剰な強運数」であり、過剰であるがゆえに、凶運を呼びこみます。ですから、そこは調子に乗らないでもう少し「謙虚に行って吉」、ということなのでしょう。
続いて、大正4年に萬物宣名學會から刊行された、『姓名判断:姓名作法』から。
“凶數四の自乗が吉で、吉數三の自乗が凶であるやうに吉數五の自乗も凶兆を有する”
これは、自乗することで、反対の性質になると語っておられますね。
- 凶数×凶数=吉数
- 吉数×吉数=凶数
要は、根本思想は太乙道人先生と一緒。大吉数5画の自乗は、かえって凶兆を内包しているということなのです。
総じて言いますと、25画はやっぱり「ただの吉数」ではありません。相当クセが強い。
過剰すぎるパワーがあり、上手にその力を発揮すれば成功するのですが、過剰すぎるがゆえにつまづく事も多い、ちょっと取り扱いが難しい吉数、ということになります。
この性質を持つ「2025年」は、果たしてどのような運命をたどるのでしょうか?
ちょっと心配…ですね。
まとめ
これまでの画数の意味を踏まえると、2025年のニッポンは、良い方では、(ちょっとオマケすると)「大いに発展運あり」ということでいいでしょう。
ただし、悪い方の暗示からは、「人間衝突運」「トラブルメーカー運」があるため、これまで以上にダメな政治家に対する不信感や、生活に対する不安が増幅される可能性はあるかもしれませんね。
「ワレがワレが」の自分勝手な考えが行き過ぎ、変な事件がニュースを賑わせることも増えるかも…。
とくに、今のご時世、国家間同士の対立には注意が必要でしょう。
人間衝突運の「人間」を「国家」に置き換えれば、国家間衝突、国家間トラブルになるわけで、話が大きくなる分だけ恐ろしい意味を持つようになりますね。
ニッポンの場合、ヤバい隣人たちに囲まれている点。世界の導火線に火を着けまくるのが大好きな「お米の国」のポチである点を踏まえても、ニッポンは、相当危ないポジションにいることになるからです。
お米の国から「鉄砲玉になれ」と命じられれば、たとえ命が危なくても飛び込んでいくしかない悲しいポチの宿命。「ウクライナ、カワイソウ…」などと見ている場合ではなく、もはや対岸の火事ではいられないかもしれませんよ。
ということで、スリル満点の2025年が始まってしまいましたが、未来を良い方に向けていくために必要なキーワードはやっぱり「謙虚さ」「優しさ」「誠実さ」でしょう。
そして、「自分が自分が」の過剰な「我欲」を捨てることが大切です。
25画の人が持つ、成功のキーワードそのままですが、この場合ももちろん有効。
まずニッポンの政治家連中が、強盗のように国民から金をむしり取ることを改心し、「謙虚さ・優しさ・誠実さ」をもってコトにあたれば、国民の絶望感も和らぐだろうし、これまでよりは、良い1年になるはず…なのですが…。
しかし、時おりテレビに映る、石破総理の誠実さのかけらもない、意地の悪い顔(ホント目つき悪いですよね〜)を見ると…ちょっと…いや、無理かなぁ…?
「お騒がせ運」だけはやたら持っていそうなのですが…。
石破総理のために、もう一度くり返しましょう。
2025年を正しく生きるキーワードは、正しい方向にニッポンを導くキーワードは、「謙虚さ」「優しさ」「誠実さ」です。
2025年が良い1年になりますように。
〈終〉